石坂 洋次郎
(いしざか ようじろう)
人物 / 略歴
石坂 洋次郎(いしざか ようじろう)
青森県弘前市代官町に生まれる。
1900年(明治33年)1月25日 ~ 1986年(昭和61年)10月7日
◆ 享年 - 86歳。
◆ 略 歴
慶応義塾大学文学部国文科卒業。
大学卒業後、故郷東北で教師生活の傍ら、小説を執筆。
1935年(昭和10年)、文芸雑誌『三田文学』に掲載した「若い人」で第1回三田文学賞を受賞。
1937年、同作は、上下巻として改造社から刊行され出世作となった。
1938年、現:秋田県立横手高等学校勤務を最後に教員生活を終える。
戦時中は陸軍報道班員として、フィリピンに派遣された。
戦後の1947年(昭和22年)、「青い山脈」を『朝日新聞』に連載。
連載後、同年に新潮社から単行本が出版された。
その後、映画化され大ブームとなり、「百万人の作家」といわれるほどの流行作家となった。
1966年(昭和41年)、第14回菊池寛賞を受賞。
1976年、朝日新聞へ連載された「老いらくの記」は、往年の読者を中心に反響を呼んだ。
その後、認知症を発症、1980年ごろには親族の顔の認識すら出来ない状態になっていたという。
代表作に「若い人」「青い山脈」「陽のあたる坂道」「光る海」などがある。
1986年(昭和61年)10月7日、老衰(硬膜下出血)のため伊東市の自宅で死去。享年86年。
特記事項
「若い人」のテレビドラマで間崎を演じた石坂浩二の芸名は、石坂洋次郎にちなんでいる。
映画黄金期の1955年(昭和30年)代には、82本の作品が映画化され、とんでない記録の持ち主でもある。
ちなみにミステリー作家に絞れば、江戸川乱歩の46本、横溝正史の42本、松本清張の36本がベスト3である。
さらに、現代に絞れば、東野圭吾の26本(国内:20本、海外:6本)が第1位を誇る。
◆ 主な代表作
◇ 麦死なず
◇ 陽のあたる坂道
◇ 石中先生行状記
◇ 光る海
◇ 何処へ
◇ あいつと私
◇ 若い人
◇ 青い山脈
◇ 颱風とざくろ
◇ 美しい暦
◇ 暁の合唱
◇ 山の彼方に
◇ わが愛と命の記録
◇ 女の顔
◇ 丘は花ざかり
◇ 白い橋
◇ 山と川のある町
◇ ある日わたしは
◇ 寒い朝
◇ あじさいの歌
◇ 河のほとりで
◇ 雨の中に消えて
◇ 風と樹と空と
◇ 金の糸・銀の糸
◇ 水で書かれた物語
◇ だれの椅子
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