直木 三十五
(なおき さんじゅうご)
人物 / 略歴
直木 三十五(なおき さんじゅうご)
本名:植村 宗一。
現:大阪府大阪市中央区に生まれる。
1891年(明治24年)2月12日 ~ 1934年(昭和9年)2月24日
◆ 享年 - 43歳。
◆ 略 歴
早稲田大学高等師範部英語科中退(月謝未納)。
しかし、早稲田大学へは登校し続け、卒業記念写真の撮影にも参加している。
1920年(大正9年)、文藝誌『人間』の編集を担当。
関東大震災後、大阪の出版社「プラトン社」(1928年 廃業)に勤務し、娯楽雑誌『苦楽』の編集に当たった。
1923年(大正12年)、『文藝春秋』の創刊に参加して文壇ゴシップ欄を担当。毒舌で話題を呼んだ。
マキノ省三に取り入って、映画制作集団「聯合映畫藝術家協會」を結成し、映画製作にのめりこむ。s
31歳のときに直木三十一の筆名で『時事新報』に月評を書いたのが文筆活動の始まりである。
以降、年齢に応じてあたかも出世魚のように筆名変えていた。
「三十一」から「三十二」「三十三」・・・ と。
しかし、周囲の忠告もあったようで46歳の時に打ち止めた。
1929年(昭和4年)、「由比根元大殺記」で大衆作家として認められた。
代表作となったお由羅騒動を描いた「南国太平記」のほか、直木作品を原作とした映画は50本近くにおおぶ。
「黄門廻国記」は月形龍之介の主演した映画『水戸黄門』の原作にもなった。
1934年(昭和9年)2月24日、結核性脳膜炎のため東京帝国大学附属病院で死去。43歳没。
命日は作品にちなんで「南国忌」とされた。
特記事項
エンターテインメント系の作品に与えられる直木三十五賞(通称:直木賞)は、彼に由来する。
1935年(昭和10年)に文藝春秋社社長の菊池寛が友人の直木三十五を記念して芥川龍之介賞(芥川賞)とともに創設。
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