芥川 龍之介
(あくたがわ りゅうのすけ)
人物 / 略歴
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)
現:東京都中央区明石町に生まれる
1892年(明治25年)3月1日 ~ 1927年(昭和2年)7月24日
◆ 享年 35歳
◆ 略 歴
江東尋常小学校(現:墨田区立両国小学校)卒業。
府立第三中学校(現:両国高校)卒業。
旧制第一高等学校卒業。
旧:東京帝国大学文科大学英吉利文学科卒業。
大学在学中に菊池寛、久米正雄らと共に同人誌「新思潮」を刊行。
同誌上に処女小説「老年」を発表し、作家活動の始まりとなった。
卒業後、海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭を執った。
1917年(大正6年)、初の短編集「羅生門」を刊行。
その後、第二短編集「煙草と悪魔」などの短編作品を次々に刊行。
1919年(大正8年)3月、海軍機関学校を辞して、大阪毎日新聞社に入社(寄稿が仕事で出社の義務はない)。
◆ 私生活
1919年(大正8年)、塚本文(海軍少佐・塚本善五郎の娘)と結婚(1968年没)。
1920年(大正9年)3月30日、長男芥川比呂志、誕生(1981年没)。
1922年(大正11年)11月8日、次男芥川多加志、誕生(1945年没)。
1925年(大正14年)7月12日、三男芥川也寸志、誕生(1989年没)。
◆ 晩年
1921年には海外視察員として中国を訪問。
この頃から次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを病む。
1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生。
1926年(大正15年)、胃潰瘍、神経衰弱、不眠症が高じ、湯河原で療養。
1927年(昭和2年)7月24日未明、致死量の睡眠薬を飲んで自殺した。35歳没。
芥川の主治医だった下島勲の日記などから、服用した薬には異説がある。
特記事項
煙草が大好きで、1日に180本も吸っていたという。
師であり自分を見出してくれた夏目漱石を終生尊敬し続けた。
墓所は、東京都豊島区巣鴨の慈眼寺。
命日は小説「河童」から取って河童忌と称される。
1935年(昭和10年)、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設けた。
◆ 代表作
◇ 『羅生門』 - 1915年
◇ 『鼻』 - 1916年
◇ 『戯作三昧』 - 1917年
◇ 『地獄変』 - 1918年
◇ 『藪の中』 - 1922年
◇ 『河童』 - 1927年
◇ 『歯車』 - 1927年
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