水上 勉

Mizukami Tsutomu

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水上勉の本

水上 勉(みずかみ つとむ)

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人物 / 略歴

水上 勉(みずかみ つとむ)

一時「みなかみ」と読まれていたが、後に本名の「みずかみ」に統一した。

現:福井県大飯郡おおい町に生まれる。

1919年(大正8年)3月8日 ~ 2004年(平成16年)9月8日

享年 85歳

◆ 略 歴

立命館大学文学部国文学科中退。

貧困から、9歳の時、京都の臨済宗寺院相国寺塔頭、瑞春院に小僧として修行に出された。

寺院蔵書の書籍を無断で貪り読み文学への関心を持った。

戦時中は郷里に疎開し、結核を患い第二国民兵役だった。

1944年には召集を受けて、京都伏見深草中部43部隊の輜重隊に所属。

その後、国民学校助教(代用教員)を務めて終戦を迎えた。

◆ 作家デビュー

戦後、上京し「虹書房」を興して雑誌新文藝を創刊。

1948年(昭和23年)に文潮社から長編の身辺小説「フライパンの歌」を刊行。

しかし、生活に追われ体調も思わしくなく、文筆活動からは遠ざかった。

1959年、「霧と影」を出版、初版3万部が1ヶ月で売り切れ、一躍流行作家となった。

◆ 流行作家として

1961年(昭和36年)、「海の牙」で 日本探偵作家クラブ賞を受賞。

同年、「雁(がん)の寺」で第45回(1961年度上半期)直木賞を受賞。

社会派推理作家として認められ、華々しい作家生活が始まった。

◆ 晩年

1989年(平成元年)、訪中帰国後、心筋梗塞で倒れ、心臓の三分の二が壊死。

以後、「」や「心筋梗塞の前後」など療養とリハビリを背景とした作品を執筆。

2002年、最後の長編小説「虚竹の笛 尺八私考」で第2回親鸞賞を受賞。

2004年(平成16年)9月8日、肺炎のため長野県東御市で死去。85歳没。

没後、正四位に叙され、旭日重光章を授けられた。

特記事項

私生活では、1941年に加瀬益子と同棲(一男・凌(窪島誠一郎)をもうける)。

1943年に松守敏子と結婚(一女・蕗子をもうける)その後離婚。

1956年に西方叡子と再婚(一女・をもうける)。

忌日は直木賞受賞作「雁の寺」に因んで「帰雁忌」と呼ばれる。

◆ 主な褒章 / 受賞歴

◇ 1961年(昭和36年) - 『海の牙』で第14回日本探偵作家クラブ賞
◇ 1961年(昭和36年) - 『雁の寺』で第45回直木三十五賞
◇ 1965年(昭和40年) - 『城』で第27回文藝春秋読者賞
◇ 1966年(昭和41年) - 『くるま椅子のうた』で第4回婦人公論読者賞
◇ 1970年(昭和45年) - 『宇野浩二伝』で第19回菊池寛賞
◇ 1973年(昭和48年) - 『北国の女の物語』、『兵卒の鬚』で第7回吉川英治文学賞
◇ 1975年(昭和50年) - 『一休』で第11回谷崎潤一郎賞
◇ 1977年(昭和52年) - 『寺泊』で第4回川端康成文学賞
◇ 1981年(昭和56年) - 『あひるの靴』で第16回斎田喬戯曲賞
◇ 1984年(昭和59年) - 『良寛』で毎日芸術賞
◇ 1986年(昭和61年) - 第42回日本芸術院賞・恩賜賞
◇ 1986年(昭和61年) - 大飯町名誉町民
◇ 1988年(昭和63年) - 日本芸術院会員
◇ 1990年(平成2年) - 福井県民賞
◇ 1992年(平成4年) - 第8回東京都文化賞
◇ 1998年(平成10年) - 文化功労者
◇ 2002年(平成14年) - 『虚竹の笛』で第2回親鸞賞
◇ 2004年(平成16年) - 旭日重光章(追贈)

◆ 主な映画化作品

◇ 『霧と影』 - 1961年
◇ 『雁の寺』 - 大映、1962年
◇ 『越前竹人形』 - 大映、1963年
◇ 『五番町夕霧楼』 - 東映、1963年
◇ 『越後つついし親不知』 - 東映、1964年
◇ 『波影』 - 1964年
◇ 『飢餓海峡』 - 東映、1965年
◇ 『湖の琴』 - 東映、1966年
◇ 『はなれ瞽女おりん』 - 東宝、1977年
◇ 『白蛇抄』 - 東映、1983年

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