松本 清張
(まつもと せいちょう)
人物 / 略歴
松本 清張(まつもと せいちょう)
本名の読み:きよはる
福岡県北九州市小倉北区に生まれる。
※ 出生地は広島、本籍地は北九州市との説がある。
1909年(明治42年)12月21日 ~ 1992年(平成4年)8月
享年82歳。参 照: 松本 清張さん死去
(LINK先:姉妹サイト)追悼の森
◆ 略 歴
板櫃尋常高等小学校(現:北九州市立清水小学校)卒業。
株式会社川北電気企業社の給仕として就職。
やがて文学に夢を託すようになり、芥川龍之介や菊池寛、岸田國士の戯曲も愛読した。
1936年(昭和11年)11月、佐賀県人・内田ナヲと見合い結婚(二男一女をもうける)。
1944年6月、臨時召集に応じ補充隊として朝鮮に渡り、衛生兵として終戦を同地で迎えた。
1951年(昭和26年)、処女作「西郷札」が「百万人の小説」に入選。
1953年(昭和28年)、「或る「小倉日記」伝」で第28回(1952年度下半期)芥川賞を受賞。
1958年には「点と線」「眼の壁」を発表。
1959年(昭和34年)、「小説帝銀事件」で第16回文藝春秋読者賞。
これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こした。
以後、「ゼロの焦点」「砂の器」など、ベストセラー作品を発表、戦後日本を代表する作家となる。
1992年8月4日、肝臓がんのため東京女子医科大学病院で死去。享年82歳。
特記事項
清張の実際の誕生日も1909年12月21日ではなく、2月12日であると推定される。
家に居るときは洋服でなく着物を普段着としていた。
ヘビースモーカーで、身辺を構わない人物であった。
唯一の趣味はパチンコであった。
コーヒー党で、1日に10杯は飲んでいた。
1961年、前年度の高額納税者番付で作家部門の1位に。
◆ 没後の動き
◇ 1994年、業績を記念して、日本文学振興会が松本清張賞制定。
◇ 1998年、北九州市立「松本清張記念館」が開館し、功績を語り継ぐ拠点となっている。
◇ 2004年、TV朝日が「黒革の手帖」の映像化を定番化(以後、単発大型ドラマを編成)。
◇ 2009年、北九州市が生誕100年記念事業を実施(清張ゆかりの全国各地で展開)。
◇ 2014年、鳥取県日南町の日野上地域振興センターに、松本清張資料室がオープン。
◆ 主な受賞歴
◇ 1953年 - 「或る「小倉日記」伝」で第28回芥川賞
◇ 1957年 - 「顔」で第10回日本探偵作家クラブ賞
◇ 1959年 - 「小説帝銀事件」で第16回文藝春秋読者賞
◇ 1967年 - 「昭和史発掘」「花氷」「逃亡」で第1回吉川英治文学賞
◇ 1970年 - 「昭和史発掘」で第18回菊池寛賞
◇ 1989年 - 朝日賞
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